日本応用心理学会第93回大会の開催にあたって
現代社会は,急速な技術革新や価値観の多様化の中で,人と人とのつながりの希薄化,不安や孤立,分断の深まりといった課題に直面しています。こうした時代だからこそ,心理学には,人の心を理解するだけでなく,人と人,人と社会を結び直し,互いを思いやる関係性を育む役割が求められています。
本大会では,「忠恕」―真心を尽くし,相手の立場に立って考え,相手を思いやる心をもつこと―を中核に据え,「つながる」「紡ぐ」「和音(調和)」をテーマとして掲げます。この「忠恕」の精神は,古来より奈良の地において育まれ,日本の精神文化の根幹として受け継がれてきました。
奈良は,"和の精神"の発信地ともいえる場所です。聖徳太子は,十七条憲法において「和をもって貴しとなす」と説き,多様な人々が互いを尊重し合いながら共生する社会の理念を示しました。またその基盤には,対話と調和を重んじる思想としての「忠恕」に通じるものがあります。また聖徳太子は,人々を救済するための「四箇院」の制度を提唱し,施薬院・悲田院・敬田院・療病院など,病や貧困,孤立に苦しむ人々を支える仕組みを整えました。そこには,現代の福祉や医療,そして応用心理学にも通じる,「支える」「寄り添う」「ともに生きる」という実践知が息づいています。
さらに,聖武天皇は仏教の精神に基づき,人々の苦しみを和らげ,互いに思いやる心を重視した国家理念を掲げ,その妻である光明皇后とともに救済と福祉の実践を推し進めました。そこには「忠恕」,つまり,人を思いやる心を社会のかたちとして実現しようとする姿がありました。
光明皇后は,障害者や病に苦しむ人々を含む社会的弱者の救済に取り組み,悲田院をはじめとする福祉的施設を日本で初めて設立されました。これらは日本における初期の社会福祉・ケアの実践として位置づけられ,現在も東大寺に連なる歴史的・精神的系譜の中にその理念が息づいています。また施薬院や,法華寺における浴室(からぶろ)の設置などの実践は,苦しむ人々に寄り添い,その尊厳を守る「ケアとしての忠恕」を具体化したものといえます。さらに,療病院は,病に苦しむ人々の治療と療養を目的とした施設として位置づけられ,その理念は現代においても受け継がれ,現在の東大寺における福祉医療の流れの中で,東大寺福祉療育病院へとつながる実践的基盤として生き続けています。これらの取り組みは,単なる救済にとどまらず,一人ひとりの尊厳に寄り添い,心身の回復とソーシャルインクルージョン(年齢,性別,国籍,障害の有無,経済状況などにかかわらず,全ての人々を孤立や排除から守り,地域社会の一員として包み込んで支え合うこと)を目指す「忠恕」の精神を象徴するものです。
そして本大会のテーマである「つながる・紡ぐ・忠恕の和」は,まさに応用心理学の本質とも深く響き合うものです。応用心理学は,人間の認知・感情・行動の理解にとどまらず,その知見を教育・医療・福祉・産業・地域支援などの現場に還元し,人と人との関係性構築やウェルビーイングの向上を目指す実践の学問です。「つながる」は対人関係やコミュニティ形成の心理学,「紡ぐ」は発達・臨床・ナラティヴの視点,「忠恕の和」は共感・援助行動・ソーシャルインクルージョンの心理学と重なり合い,理論と実践を結ぶ中核概念として位置づけられます。
本大会は,こうした奈良の歴史と精神文化を背景に開催される日本応用心理学会において,基礎・臨床・教育・産業・地域ケア実践など多様な領域の研究者・実践家・学生が集い,世代や専門を越えた対話を通して,新たな知と実践を紡ぐ場を創出するものです。
奈良から再び始まる「心の和音」が,「忠恕」に基づく思いやりの文化として,人と人,人と社会,そして未来へと広がっていくことを願い,奈良県立医科大学において日本応用心理学会第93回大会を開催いたします。
委員長 小竹 久実子





